憐れみ
- toshiki tobo
- 5月27日
- 読了時間: 2分
憐れむ癖があります。そして、その癖を嫌なものだと感じています。困っているだろうとか、悲しいだろうとか、こういう言葉をかけてほしいだろうとか、勝手に推測しては、勝手に憐れんでしまいます。そうなのかどうかもわからないのに。
20代後半から輪をかけて涙もろくなりました。映画を見ても、アニメを見ても、本を読んでも、なぜか泣けてきます。悔しい時にも涙がでるし、怒るはずのときも、気を抜くと涙が流れてしまいます。デトックスだと前向きにとらえる人もいますが、極力泣かずに生きていきたいものです。
こうなるのは、なぜか。よくわかりません。わかりませんが、自分の中にあるねじ伏せ難い傲慢な憐れみがそうさせているような気がしています。
こういう時に憐れみなさいなどという教えを享受した覚えはありませんし、憐れむという行いに対し親しさを感じたことは記憶のなかではありません。でも、自分がしていることは憐れみに限りなく近しく、そのような状態のときに自分自身が卑しい存在に思われ、途端に嫌な気持ちになります。
自分にも相手にも優しくできるときはできる限り優しくしたいと思いますし、そうすべきだと思っています。でも、そこに憐れみがあったとき、その優しさは嘘になってしまうような気がします。
僕は今、憐れみを手放したいと思っています。いつかは悪いことではないと迎え入れることができるかもしれませんが、取り急ぎ今はあまり近づきたくはありません。
憐れむって何だか寂しいものですね。
寂しいがとにかく嫌いな最近の僕の独り言でした。

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