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#誰かの過去に想いを馳せて

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年8月16日
  • 読了時間: 3分

更新日:2022年2月25日

大学4年生の頃、母方のおばあちゃんが亡くなった。

ちょうど就活をしていた7月の頭にひっそりとあの世へ旅立った。


たしか、祖母が亡くなり遺品整理を

母とその兄の叔父ちゃんがせっせとしているときだったと思う、

戦争体験記なるものが出てきた。

20年前ごろに作られた体験記集だった。


僕のおばあちゃんは76年前、横須賀にいた。

若干15〜16歳の少女だったおばあちゃんは

学徒動員で戦線へ駆り出されたのだ。

体験記の内容はうろ覚えだけれども、

そこには紛れもなく大日本帝国の勝利を信じてやまないおばあちゃんの姿があった。


おばあちゃんは山梨の六郷というところに住んでいた。

県庁所在地の甲府から車を1時間30分程南へ走らせたところにその町はある。

盆地から山を越えた先にある大変のどかな田舎町だ。


甲府も空襲で焼かれたが、

六郷はそれも遠くに感じるようなところ。

そんなところで過ごしていたおばあちゃんは

どんな気持ちで戦線へ向かったのだろうか?

今やもう知る術がない。

おばあちゃんはいないのだから。


おばあちゃんはとても賢い人だった。

体験記の文章は僕が見たはじめてのおばあちゃんの文章だった。

とても綺麗な文章だった。

言葉に当時の呼吸があった。

文章を通しておばあちゃんの息遣いが伝わってきた。


思い出すことにいいことなんてあったのかな?

だって、毎日のように身の周りで人が死んでいるのだから。

逃げることもできない辛い現実を

どう受け止め、生き抜いたのかな?


一緒に住んでいた父方のおばあちゃんは

ほんの少しだけ戦争の話をしてくれた。

でも、ほんの少しだけ。


母方のおばあちゃんからは聞いた記憶がない。

僕が聞かなかったのか、聞いたけど忘れたのか、

おばあちゃんが何ひとつ話さなかったかは定かではない。


おばあちゃんはどんな平和を望んでたのかな。

聞いてみたかった。


ところで、スガモプリズンを聞いたことありますか?

戦後、連合国によって捕まった戦犯が収容された施設が当時の西巣鴨、現在の東池袋にあってね。

サンシャインシティのあの場所。


僕は今西巣鴨に住んでる。

でも、そんなことはつゆ知らず。

自分の住んでいる場所の昔のことって案外知らない。


スガモプリズンでは

東條英機をはじめとするA級戦犯が処刑された。

70年代後半に副都心として再開発が進み

今日の街並みに変わったとのこと。

サンシャインビルに隣接する東池袋中央公園には慰霊碑が建てられている。


戦争を体験した世代がどんどん少なくなっている。

人間はそんなに賢くない。

同じ過ちをくり返す危うさをはらんでいる。

毎日の生活のなかで

いつでも平和を感じることは難しい。

なにか他のことと比べた時に

平和は姿を現したりもする。

人が人を殺さない世界を平和とするなら

僕はそれを望みたい。


すべての命が、誰の指図も受けずに、

勝手に躍動する世界。

大きな願い。


平和はそこにあって、すぐにどこかへ行ってしまう。

大切にしようね。


戦争と平和。

ふたつはいつも一緒。

一緒に考えようね。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

戦争がなくとも、僕たちの生きる世界は厳しく、冷酷。

よりよく生きるとはどういうことか、

自分の幸せは何なのか、も

併せて考えてみるのもいいのかもしれないね。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。



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