top of page

#少し考えることがあってね

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年9月5日
  • 読了時間: 3分

2日ブログをサボった。

疲れていたのかもしれないし、

何も書く気がおこらなかったのかもしれないし、

その両方かもしれない。

少し考えることがあってね。


物事の本質を見極めること。

それが大切だと大学生の頃にどの先生も口を揃えて言っていた。


ここ最近、いろんなニュースが飛び交っている。

きっと見えている部分は氷山の一角で、

真相はもっと深く、遠くのところにあるんだと思う。


都合のよくないことには封をしたり、

ダミーニュースを走らせたり。

情報が溢れすぎていて

とてもじゃないけど僕には処理しれない。


みんなは何を見て、何を思っているのだろう?


少し回り道をする。

僕は小さな頃から大抵のことはそこそこにこなせた。

小学生の頃なんかは自信満々だったわけだ。

それに加えて、生まれつきの正義感の強さと、目立ちたがり屋の性格が相まって

それはもう小生意気なわけだった。


で、常に中の上から上の下あたりに位置していると思い込んでいたわけだ。

自分を俊才だと思っていた。

が、当時を振り返ると僕がしていたことは俊才の真似事。

それと、なんでもできなければいけないものだとも思っていた。

褒められることが当たり前になっていた僕は

自分のことを俊才だと買い被っていたわけだ。

自惚れていた。

幻想の中で生かされていた。


高校生の頃に初めて本物の俊才に出会った。

本物の俊才は、それはもうすごかったよ。

彼らの能力は努力をするとかしないとかそういうところの外側にあった。


俊才の真似事をしていた僕は、

幼い頃に深くを求めすぎていて、

高校生の頃には完全に破綻していた。

そりゃそうだ、俊才じゃないんだからできるわけがなかったんだ。


でも今思えばその破綻がよかったのかもしれない。

僕を再形成する大きなきっかけになった。


僕らが生きる世界はとても静かだ。

誰もが静観している。

どうやらそれが「カッコいい」ようだ。


でもそれって、どうなんだろう。

求めているのは「見てくれのカッコよさ」だけだったりしないだろうか?


「ダサい」

そう聞こえてきそうだ。

チクリ、と心が痛くなった。


でもね、大事なことからは目を背けてはいけないんだ。

言葉を使ってぶつけ合わないといけないことってたくさんある。

そんなに静かに黙っている暇なんてないんだ。


過去の破綻は、僕に本質を見極める目を与えてくれた。

確かな大切なものを目で追えるように僕を育ててくれた。


毎日って、ただ日が連続しているだけではなく、

まったく違う日が偶然隣り合わせに並んだだけなのかもしれない。

だから、昨日ありきの今日、今日ありきの明日と簡単に言ってはいけない。

昨日は昨日で、今日は今日、そして明日は明日なんだ。

簡単に続いているものだと考えてはいけないり


過去も未来も不確定要素で溢れている。

だから、より確からしい「今、この現在」に標準を定め、

どうでもよさそうなアレコレに熱く情熱を注ぎ込んでみようと思う。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

要は「本質はどこか」。

今日僕が伝えたいのはそこなんだ。

今日の記事こそアレコレと装飾のオンパレードでわかりにくかったね。

ごめんなさい。

熱く生きよう。

それでは、また明日。


本当にお粗末様でございました。





Comments


bottom of page