伝播する喜び
- toshiki tobo
- 2021年2月15日
- 読了時間: 2分
過日に高校生来の友人が入籍した。
直接お祝いをしてあげたかったのだが
すぐコロナ禍になってしまったので何もできずにいた。
以前欲しいものをリクエストしてくれたので
とりあえずということで贈ったらとても喜んでくれた。
僕もすごく嬉しかった。
夫婦ともに高校の友人なのだが、
夫の方からはありがとうの「あ」の字もない。
どうなってるのだろう。
請求書を送りつけてやろうかと思ったりなどする。
そんな冗談はさておき、おめでとう。
ここ数年でおめでたい話が一気に増えた。
そういう話が耳に入るたび歳だけは大人になったんだなと
ちょっとしみじみしてしまう。
仲の良い友人の幸せを心から嬉しく思う反面、
お祝いをしなくてはと焦る心も確かで。
「ほらよ」とただ物を送り付けるだけじゃ味気ないから
緊急事態宣言が明けたら順次
おめでとうを伝えに行こうと思っている。
誰かのための贈り物を考えるのはとても楽しい。
相手の趣味や生活リズムを考えたり、
自分がよいと思ったものをシェアしてみたり、
あれやこれやと妄想の宇宙がビックバンだ。
周囲の結婚ブームのせいもあってが
最近否が応でも結婚について考えることが増えた。
他人と同じ家に住み、一緒に生活をする。
僕はしたことがないからどんなものかわからない。
長く一人で生活をしていると、ルールばかりが増えて
果たして誰かと生活などできるのかと不安になる。
相手に合わせたいけども、僕もなかなか頑固だ。
相当こだわりのない人か従順の人ではないと
一緒にやっていけないと思う。
昨日はバレンタインデーだった。
きっと世のアベックは何かしらの贈り物をしたことだろう。
些細なことでもそういう一つの気遣いやちょっとした特別感が
一緒にいることには必要なんだと思う。
贈り物をいうと物質や物体を思い描いてしまうけど
それだけではないと思う。
目に見えなくても日々の生活の中で
誰かから何かを受け取っている。
そういうものは気づくのが少し難しい。
なんてことない日常の一コマに
もっとフォーカスを当ててドラマチックにしてみれば
普段見えなくなっている何かが見つかるかもしれない。
そういう贈り物があったら素敵だ。
みんなの生活が、結婚が、
そういう贈り物でいっぱいだったら嬉しい。
末永くお幸せに。本当におめでとう。
お粗末様でございました。

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