#伝える言葉が見つからない
- toshiki tobo
- 2022年5月6日
- 読了時間: 3分
おめでとう、でも、お疲れ様、でもない。
こんな時なんと言えばいいのだろう。
迷いながらもその日僕は両方の言葉をを伝えた。
いわゆる祝いの場に立ち会ったとき
心から祝福できるかがとても重要だと僕は思う。
心からの祝福。
これは一度すべての人に考えて欲しいこと。
小さな頃ひとつひとつのイベントが
新鮮で、楽しくて、嬉しかった。
心からの歓びを感じていた。
皮肉にも歳を重ねるにつれて
その歓びはどんどん希釈され
なんとなしに見える上澄みにしか
確認することができなくなった。
なぜか。
なぜだろう。
おおむね、心ここに在らずであるため、
ということに気がついた。
歓ぶその瞬間に、心がそこにない。
だからなんだと思う。
それは、どういうことか。
想像力が欠けている、
ということなんだと思う。
祝いの場へいたるまでのその過程。
時間の過程への配慮。
そこへの想像力が欠けてしまっている。
祝いの場にいたるまでの道のりは
大抵険しい。
その険しい道のりをより具体的に
想像できるかどうかが肝なんじゃないかな。
僕はもう、そういうことをしなければ
あまり感動できなくなってしまった。
逆を言えば、それさえできれば
あらゆるものへ感動を表すことができる。
このゴールデンウィークでは
ある大きなお手伝いの約束があった。
マミさんとの約束。
版画家のマミさんの展示のお手伝い。
昨年、ひょんなことから再会を果たし
以来とても仲良く連絡を取り合っている。
結婚をしてもマミさんはマミさんで
静かで熱い情熱を胸に秘めている。
彼女の心の玄関はいつも開けている。
というより簡単にあいてしまう玄関のように見える。
だから、本来ならばいれたくないものも
勝手に入ってきてしまう。
招かれざる客というやつだ。
そしてまた、孤独でもある。
冬の寒い日に1人でする作業は辛い。
自分が選んだ道だとしても辛いものは辛い。
マミさんに対してそういう解釈をして
僕は彼女の作品を見て、触れて、感じた。
だから、祝いの場において
そのときだけを示すような
あめでとう、とか、お疲れ様、は
口にしづらかったんだ。
でもね、それは僕の考えすぎで、
誰だって頑張った時は褒めて欲しいし、
労ってほしいよね。
今回の展示においては、
それまでの過程でマミさんと連絡を
取り合うことが多かった。
だからこそ、当日に彼女に会えた時
歓びは他の気持ちを凌駕して、
心から溢れ出した。
純度の高い歓びは、
幸せ漂うオレンジとピンクのマーブルをともなって
モノクロの作品に人の命を吹き込んだ。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
人によって態度を変えることを
自分自身をオーダーメイドすると
かっこつけて表現したりする。
演じると言ってしまってもいいかもしれないね。
最近それがまた増えてきた。
この人にはこうすることがよいだろう、とか
この人はこういう自分を予想しているだろう、とか。
考えものだな、と感じている。
うまくこなすことばかりが
人間関係を円滑にするわけではない。
心に余裕がでてきたからこそ
もう少し肩の力を抜いてみようと思う。
3日間マミさんと話してみて
そんなことも思ったところ、だ。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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