#(仮設)未来図その1
- toshiki tobo
- 2021年8月20日
- 読了時間: 2分
仕事の繁忙期からようやく抜けられそうな兆しが見えてきた。
予想外の指摘を受けた今期は自分の居場所はどこなのか、
その輪郭を単線でなぞることで精一杯だった。
どこにでもあると思われる居場所は実はなくて、
一生探してゆくのだろうと改めて思った。
今日はどうしても走りたくて、
日付が変わるのとほぼ同時に家を飛び出した。
夜風は完全に秋の風で、ほてった心身を優しく冷やしてくれた。
白山通りを南下し、そして巣鴨駅まで走った。
途中、巣鴨のとげぬき地蔵でお参りをした。
でもって、Uターンして家の裏にある公園まで辿り着いたところで
今日の備忘録をつけている。
この公園は首都高環状線の真下にある。
なんだか信じられないような現実だ。
見上げるビルなんてどこにもない、
どこまでも広がる空の下に育った
田舎育ちの僕が東京に住んでいる。
そして今、生活の中に意図せず入り込んだ首都高を見上げ、1日を振り返っている。
小さな頃に思い描いたいくつもの未来。
その中のひとつに東京で暮らす予想図があった。
小学校の卒業文集で夢について書いた。
そこでは3つの夢を描いた。
「ヒルズ族になること」
とんでもない夢を平然と描いた。
とてもよく覚えている。
同じ東京でも僕の住む場所はそことはかなり遠くに位置する。
色んな意味でもっとも遠い。
小さな頃に漠然と掲げた夢は想像以上に非現実的だった。
でも、夢があった。まさに夢だ。
自分の居場所を探したこの夏、新たな場所へ移る決断をした。
人生は何が起こるか分からない。
何か起こった時に自分の身を守れるだけの基礎体力がなくてはならない。
少なからず毎日のようにコツコツ努力してきたつもりだ。
それがようやく報われようとしている。
来月から具体的に進んでゆくことになる。
大きく変わるのは恐らく新年度から。
夢が膨らむ。
予想だにしていなかった未来が始まろうとしている。
仮設の未来がいくつも作られ、眩い光を放っている。
しかしそれは、いつもあるとは限らない。
例えいくつもあったとしてよ進めるのはひとつだけ。
でも、未来はいつだって存在していて、
希望の光は消えることはない。
僕らは何にだってなれる。
願えば叶う、何度でも。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
旬の波に乗ってみよう。
手遅れになる前に。
絶対に未来は明るいよ。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。




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