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#ヒロシマの有る国で

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年8月6日
  • 読了時間: 2分

連日眩しいほどの日光が降り注ぐ晴天が続いている。

今日も朝から真っ青な空の下蝉時雨を耳にしていた。


76年前の今日、広島で空が堕ちた。

一瞬の閃光が目の前で瞬くや否や、

空が堕ちてきたのだ。

人々は地獄をみた。


この季節になるとYouTubeで当時の映像を漁ったり、

大戦の記録なるものをよく目にする。

そして平和について考えたりなどする。


当時の人々が願った平和、それは、戦争のない平和。

2021年を生きる僕たちが望む平和はどうだろうか。

少し違うかもしれない。


具体的に何がと聞かれてもはっきりとは答えられない。

だけど、純粋に戦争のない平和であるとは言い難い気がする。

少しばかり恣意的な平和を求めている気がする。


戦争なんて起こるわけがない。

道ゆく人々の顔はそう言わんとするばかりだ。

テレビを見ても、スマホを覗いても、

戦争の話題なんかでちゃこない。

ちっともない。


時折海外メディアのニュースに目を通すと

よく人が殺されている。

過去の大戦の始まりとほとんど同じような事件で

人が殺されている。

紛争もある、国家間の戦争もある。

戦争は終わっちゃいないんだ。


僕が卒業した中学校では毎年3年生が学園祭で

合唱曲「ひろしまの有る国で」を歌うのが恒例となっていた。


別に他の合唱曲でもいいのだけど、

先輩の姿を見て歌いたいと切望し歌うんだ。

15歳だった僕らは歌い、そして泣いた。

それほどにこの歌は美しく、悲しく、

たくさんの人の願いが詰まったものだった。

先人たちへのレクイエムであり、

後世に託す希望であった。


実家に帰ったとき今でもこの曲を

ピアノで弾いてみたりなどする。

そして、楽譜に書かれた歌詞の意味を考える。


人の命は同じ。


コロナで命に優先順位がつけられようとしている。

戦争など起きていない日本だが、

戦禍で行われていたことと同じことがなされようと

しているのだ。


平和について考えよう。

命について考えよう。

年に1度くらい、そういう日があっていいと思う。

といつよりも、なくてはならない。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

総理の菅は、今日平和祈念式典で

しくじったようだ。

2度と表に出てきてほしくない。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。


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