#「信じる」についてのこと
- toshiki tobo
- 2021年5月14日
- 読了時間: 2分
「『信じる』ということのほとんどは
『自分が思い描く理想像に期待する』
ことなんだと思う。」
いつかの芦田愛菜ちゃんがそんなことを言っていたを見て、
「もうこの人は芦田愛菜さんなんだな」
というようなつぶやきをTwitterで見た。
”芦田愛菜ちゃん”が”芦田愛菜さん”に変わる間
僕は何をしていたのだろう。
ちっとも変ってやいないじゃないか?
時間を無駄にしてしまっていたんじゃないか?
少し焦りを感じてしまった。
子供の成長の早さをうんと思い知らされた。
愛菜ちゃん、もとい、愛菜”さん”が言った通り
僕たちは何かと期待しすぎているのかもしれない。
ついつい、都合のよいようにとらえてしまいがちなんだ。
本当は「信じる」ではないんだ。
「期待している」なんだ。
それゆえに、世の中は裏切りで溢れていて
何事もうまくはいかないと思ってしまうのかもしれない。
「自分は裏切られたわけではなく、
本当ことを知っただけ、知らなかった部分を見えただけ。
そう受け止められる『揺るがない自分』や
『揺るがない自分の軸』を本来は信じるものなのかもしれない」
先ほどの言葉のあとにこんな感じに続いていた。
人は不安の中に生きている。
それゆえに『揺るがない自分の軸』を持つことは難しいし
覚悟が必要になってくる。
だから「信じる」という言葉を口にすることで
自分の都合のよいように相手や自分の理想像にすがり
何とか安心をしたいわけなんだ。
信じることが難しいわけは
そういうことなんだなと正味16歳の少女に
教わってしまったわけだ。
「真実を受け止める覚悟」。
僕にはあるだろうか?
本当のことを知る前に怖さがあるということは、
まだ期待が残っているということ。
覚悟がない状態では「信じる」ことはできないのだ。
紛れもない強さをもった軸を携えられるようになるには、
まだまだ時間が必要かもしれない。
真実を受け止める準備は常にしておかなければならない。
みんなもどうか「ご覚悟」を。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
家族や友達は「信じる」を使えると
胸を張って言えるようになりたい。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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